住所不定の転々と職業を変える浮遊生活者
自分は現在満49歳になり、パチンコを打ち始めた時は17歳で、以来今日まで、32年間パチンコに人生を翻弄され続けて参りました。
初めてパチンコ台と対面した時の衝撃はうち震えるほどのものがあり、その感情はいまでも忘れられるものではありません。しかし、そのいっぽうでは、或る人が自分をパチンコというものに誘わなければ別の(もう少しましな!?)人生を送ってきたかも知れない、とも思うのです。
自分が32歳頃の時、ある事情で身内から17万円の借金をし(ギャンブルには関係ありません)、それがもとで返済が何年にも長引いてゆくうちに気まずい気持ちがあり、顔が合わせられなくなり、住所不定の転々と職業を変える浮遊生活者となりました。そして、35歳から42歳までパチンコ生活者となりました。
と言っても釘が読める訳ではなく、羽根ものとか「ジャンケン」(台の名称は不明)のモーニングなど打っていました。その頃は、同じ店に通い続ければ日頃よく出る台がわかっていて、その台ばかり集中的に狙えば食べていかれたのです。
しかし、その7年間というものは、心の中にはいつも淋しい風が吹いていました。
ただ淋しいだけではなく、その心中に渦巻くものは他人に対する憎悪、パチンコ店主に対する憎悪、世間に対する憎悪で一杯であり、そしてなによりも自分をメチャクチャにしているのは、そういうあらゆる憎悪の渦が自分の心の内に湧いているそのものを自分自身が外側からじっと見るせつなさで御座居ます。
初めてパチンコ台と対面した時の衝撃はうち震えるほどのものがあり、その感情はいまでも忘れられるものではありません。しかし、そのいっぽうでは、或る人が自分をパチンコというものに誘わなければ別の(もう少しましな!?)人生を送ってきたかも知れない、とも思うのです。
自分が32歳頃の時、ある事情で身内から17万円の借金をし(ギャンブルには関係ありません)、それがもとで返済が何年にも長引いてゆくうちに気まずい気持ちがあり、顔が合わせられなくなり、住所不定の転々と職業を変える浮遊生活者となりました。そして、35歳から42歳までパチンコ生活者となりました。
と言っても釘が読める訳ではなく、羽根ものとか「ジャンケン」(台の名称は不明)のモーニングなど打っていました。その頃は、同じ店に通い続ければ日頃よく出る台がわかっていて、その台ばかり集中的に狙えば食べていかれたのです。
しかし、その7年間というものは、心の中にはいつも淋しい風が吹いていました。
ただ淋しいだけではなく、その心中に渦巻くものは他人に対する憎悪、パチンコ店主に対する憎悪、世間に対する憎悪で一杯であり、そしてなによりも自分をメチャクチャにしているのは、そういうあらゆる憎悪の渦が自分の心の内に湧いているそのものを自分自身が外側からじっと見るせつなさで御座居ます。
