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つまらない人たち

多くの人が経験的に知っていることだが、パチンコに夢中になっている人たちというのは、「つまらない」人たちである。話していて、とにかくつまらないのだ。魅力的な人でパチンコに熱中している人はほぼ皆無と言ってよい。

この「つまらない・魅力的」という評価は、社会にとっての有用性とはまったく無関係に、もっとも素朴な形で行われる。たとえば、いわゆる極悪人の中にも魅力的な人はいる。貧乏な人、これといった能力がない人、だめ人間、それらの中にも魅力的な人はたくさんいる。

つまり、「つまらない人間か、それとも魅力的な人間か」という評価は、社会を通した損得勘定をまったく超越し、人と人とが直に触れ合ったその場で発生する、もっとも素朴かつ絶対的な人間評価なのである。誰にとってもリアリティのある人間基準だといえよう。では、パチンコをしていると、なぜつまらぬ人間になってしまうのだろうか。

| パチンコ・スロット依存の意味::凡庸な生としてのパチンコ |

奴隷の復讐

パチンコ奴隷がどのように自分の怒りを表現しているのかを見れば、彼らの思慮の浅さは明らかである。

たとえば、彼らはパチンコ店のガラスを割ったり、汚物をばらまいたり、店員に嫌がらせをしたりする。しかし言うまでもなく、パチンコ店で働いている人間というのは、たいていわずかな給料で働かされているサラリーマンとアルバイトに過ぎない。

あるいは、負けた腹いせに家族、友人に八つ当たりをする。誰かに怒りをぶつけないと気が済まないのだろうが、周りの人をあたかも敵であるかのように扱い、自分にとって最も大切な人を徐々に失っていくのである。

さらに、パチンコで搾取された怒りを自分に向けるケースもある。自己嫌悪に陥ったり、自暴自棄になったりする。しかし、結局のところ、自分を罰せられる対象と罰する対象に分けて、一方では自己憐憫、他方では自己優越を感じているに過ぎないという。その証拠に、自分に怒りを向けた人間が建設的な方向に歩むことはなく、結局同じ事を繰り返しているのであって、それがなぜかといえば、自己憐憫と自己優越で快楽を得ているからである。

| パチンコ・スロット依存の意味::奴隷としてのパチンコ |

奴隷の視野

自分が置かれている構造がよく見える人にとっては、自分を欺くのは困難である。いくら自分を誤魔化そうとしても、パチンコによって自分が単なる奴隷になってしまっている事実が見えすぎるために、もはや奴隷でいることができない。

しかし、物事を考えるうえでの視野が狭い人というのは、そういった構造がまったく見えず、今日はパチンコで勝った負けたといった次元でしかものを考えない。自分が踊らされている事実に気付かないし、それを指摘されてもピンとこないのである。

現在の奴隷は、物理的には誰一人繋がれていない。ただ、視野がせまく思慮の浅い人間が自らの心に鎖を繋ぎ、そこから自由になれないのだ。

| パチンコ・スロット依存の意味::奴隷としてのパチンコ |

奴隷はいかにして真の奴隷になるか

興味深いのは、パチンコ店に金を運び続け搾取され続けているパチンカーが、自分の意志でやっているつもりだという点である。

奴隷の状態から抜け出たいなら、当然鎖を外すべきだ。しかし、あるタイプの奴隷というのは、自ら望んで奴隷をやっていると思いこむことで、強制されていないから自分は奴隷ではないと考えるのである。人が事実を指摘しても、言葉による正当化で自分を欺く。

しかも、そういう行為はほとんど無意識に行われ、自分で自分を欺いていることすら気が付いていない。これによって、真の奴隷が完成する。パチンコ依存者一般の姿である。

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奴隷の管理

千人の奴隷がいたとする。この奴隷を効率的に働かせることは簡単である。一番よく働いた奴隷を自由にすると宣言すればよい。千人の奴隷は、その一人になるために精一杯働くことになる。

実際は、全員で逃げるか反乱を起こせば、より多くの奴隷が自由を得ることができたとしても、奴隷たちにそういう気概はない。ただ、ご主人様の言葉を信じ、自由のご褒美をもらうという微かな希望にすがる。他者依存が性根まで染みついてしまうと、それ以外の判断ができなくなるのだ。

これはパチンコ店で毎日起きていることである。「勝てる」という妄想をパチンコ店は与える。そして、ごく一部の人間には慈悲深く「当たり」を与える。これによって、トータルでは大負けになるにも関わらず、金を運ぶ奴隷として客をコントロールできるのである。

| パチンコ・スロット依存の意味::奴隷としてのパチンコ |

依存という鎖

奴隷というのは必ずしも鎖で繋がれている必要はない。なんらかの見えない鎖によって搾取し続けられれば、その人は奴隷である。パチンコのように、依存性がみえない鎖の役割を果たし、パチンカーがその依存性に縛られて金を運び続ける構造は奴隷搾取そのものだろう。

一部のパチンカーは借金をしてパチンコをする。これはパチンコ依存のなせる技で、普通の判断力のもとでは起こりえない。これによって、パチンコ店に金を運ぶだけではなく、サラ金にも高金利を払い続ける二重の鎖が出来上がる。

余談になるが、ピラミッドを建設する際、古代エジプトでは麻薬が使われたという。麻薬の快楽をエサにして奴隷を酷使したのである。現在の日本では、脳内麻薬の快楽で釣ることによって、パチンコで金を使い続ける奴隷にしているわけだ。

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甘やかしと自己欺瞞

パチンコ依存の若者に特有な傾向なのだが、「悩まない」という点があげられる。将来のこと、人間関係のこと、家族のこと、友人のこと、人生のこと、何一つ真剣に考えようとしない。真剣に考えることを怖れているようにもみえる。

幼児的な万能感や自分にたいする奢りがあるために、自分の卑小な現状や将来を考えないようにしていると考えられる。本来、悩むことによって、自分の支えだったそれらの自己中心的な発想を脱ぎ捨て、偏狭な価値観をやぶって再生するものなのだが、そういう壁を避けてしまうのである。

そして、なぜ悩むという行為自体を避けてしまうかといえば、現実を直視する精神的な耐久訓練ができていないからではないだろうか。甘やかされて育った人にこのタイプが多い。甘やかしという行為は、自分の欲求不満と戦う機会を子供から奪うだけでなく、甘やかしてもらえない状況にたいする恐怖心を子供に植え付ける。

| パチンコ・スロット依存の意味::自己欺瞞としてのパチンコ |

自己欺瞞としての自殺

パチンコ依存者の自殺は珍しくないが、その何割かは自己欺瞞を通すためのものだと推測できる。現実を否認し続けた者というのは、もはや否認できないほど現実が差し迫ってくると、現実を認めないために自らを殺すという選択肢が意味をもつようになる。そうすれば現実を受け入れなくてすむというわけだ。

自殺という悲惨な事態を前にすると、「その人には相当の理由があったんだろう」と考えたくなる。しかし、現実を受け入れないで自分を騙すという生き方が前提になってしまうと、自殺すらあまりに合理的で逆らいがたい選択肢になりかねないのである。

むろん、鬱という病気が重なったり、パチンコ依存よりも大きな問題を抱えていることも考えられるので一概には言えない。しかし、パチンコ依存が否認の病であることを考えると、少なくない割合においてこのようなケースが推測されるのである。

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依存的な人間関係は自己欺瞞を助長する

依存的な人間関係とは、他者に自分の存在証明がある関係である。他者がもつイメージが自分の存在の起点になるような関係だ。そのため、他者からどう思われるか、受け入れられるか、愛されるか、といったことを必要以上に気にするようになる。

このような人間関係を構築してしまう人というのは、他者から見える部分をコントロールすれば現実が克服できると想定しがちになる。実際には貧乏でも、金持ちだと人に思わせれば「自分は金持ちである」と考える。実際には愚か者でも、頭がよいと人に思わせれば「自分は知性がある」と信じる。実際には自分を肯定していなくとも、人から受け入れてもらえれば「自分の存在を肯定できる」と思いこむ。

この手のタイプの人は、とことん自分を騙すことができるようになる。極論すれば、殺人を犯しても、人にばれなければ「自分はやっていない」と考えるようになる。

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自己欺瞞の起源

自分を欺く行為というのは、幼少期に誰もが通る道である。もっとも典型的な自己欺瞞は、親にたいする感情である。子供は親に頼らないと生きていけないので、親に適応するより他ない。

何かあるたびに、親が悪いのではなく、自分が悪いと思いこもうとする。また、期待はずれの親の振る舞いや理不尽さに激しい怒りを感じても、その怒りを抑圧するようになる。

やや極端なケースだが、次のような話もある。母親から金目的の売春に使われ続けた少女がそれでもなお親を擁護するという。自分の存在の肯定を親に求めざるをえない子供は、このレベルまで自分を騙し続けることがある。

それほど極端ではなくとも、子供というのは誰であっても生きるために自分を騙すものだ。また、このことは依存的な生をおくっている人が避けて通れない事態で、宗教であれ社会的地位であれ何かに依存している人間というのは、この種の自己欺瞞を日常的に行う。(しかし、まったく何ものにも依存してない完全に自律的な状態など人間にはあり得ないので、程度の問題かもしれないが)

子供は成長するにしたがって、本来はその自己欺瞞に気付く。これこそ親離れのもっとも基本的な観点だという。自己欺瞞的な親子関係に気付くことによって子供は精神的に親離れするのだ。それがない限り、経済的に自立しても一生親離れすることはできないという。

普通に自己欺瞞を行えてしまうパチンコ依存者というのは、おそらく親離れをしていないのだろうと推測できる。起源的な自己欺瞞から脱した経験がないために、自己欺瞞が何かすら実感としてわかっていないのではあるまいか。そのために、はたから見ると滑稽なほど自分を騙すことができてしまうのだと考えられる。

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