HOME > パチンコ・スロット依存の意味 > 酔いとしてのパチンコ

NEWEST /   

酔いから醒める価値は人生にあるか

以上、アルコール依存の解釈をおおざっぱに見てきたが、酒を飲んだか飲まないか、パチンコをやったかやらないかの問題ではなく、全人格的な問題であることは明らかだろう。

パチンコの「酔い」に依存してきてしまった人は、恨みと虚無を抱えている可能性が高く、それによって今現在、苦境に陥っている人かもしれない。そこから脱却しようにも、そもそも人生や日常に喜びを見いだせない人たちである可能性が高いのである。

一つ言えるのは、そういう人はパチンコをやっていようがやっていなかろうが、いくら表面的に平穏にみえる暮らしをしていようとも、心の中は嵐が吹き荒れコントロールできない状態だっただろうということだ。

人生にたいする喜びを感じられないように歪められた現状から脱却するためにも、依存と取り組むことは有益である。依存から脱却する過程でその歪みに気づき、回復するケースは多い。

| パチンコ・スロット依存の意味::酔いとしてのパチンコ |

「怒り・恨み」は依存のキーワード

パチンコ依存者と接すると、心の奥に「恨み」を抱えている印象を受けることがある。あらゆることにひがみっぽくて恨みがましい。また、何か嫌なことがあると自分の中で不満を処理できない。そして、大切な金を散財する自傷的行為に走ったり、「酔い」によって発散しようとするのである。

簡単に言ってしまえば、怒りを適切に表現できない人たちなのだが、なぜ表現できなくなってしまったのだろうか。怒りの抑制を学んだ幼少期に原因を求めると以下のような理由が考えられる。

・親子の間にしっかりとした信頼や愛着がないか、あるいは親が子供の怒りを受け止めるだけ強くなかったために、怒りを表現すると親子関係が壊れてしてしまう不安を感じて、子供は怒りを抑圧することになる。
・怒りの感情が強すぎるために、それを発散してしまうと相手を破壊してしまう不安を子供は感じ、子供が自ら怒りを抑圧することになる。
・親が威圧的で強迫的なために、子供は怒りを抑圧することになる。

上記は、一般に子供が怒りの抑止を学ぶ過程で経験することだとも言われているので、程度の問題かもしれない。しかし、親にたいして従順なタイプの子供は要注意で、処理しきれないで出口を失った怒りは恨みに変質して持続することになる。

怒りを抑圧して環境に過剰に適応して育つと、自分の内的な感情を常に疎外することになるので感情が鈍化する。徐々に生気も失うことになる。生きる喜びを失って、すべてが虚しく感じるようになる。

このように恨みが心中に巣くっていると、その後あらゆる人との人間関係が腐敗する。誰に対しても恨みの感情をぶつけるようになり、他者と愛情ある人間関係が構築できなくない。その結果、孤独になるのである。

上記のような人は、アルコールやギャンブルの「酔い」に依存しやすい。「酔い」は、自分に高揚感や万能感をもたらし、日頃の自己批判を外す。また、酔いによって自分の境界があいまいになり、一体感を喚起して孤独感を癒す。その結果、「恨み→寂しさ→酔い」という悪循環ができあがる。

| パチンコ・スロット依存の意味::酔いとしてのパチンコ |

なぜ、そういうタイプになるのか

「自信がない」という言い方をもっと適切に言い換えるなら、「自己の人格の基礎ができていない人」という表現になる。

自分の人格の基礎ができないために、日常が自分を強化する形で経験できない。常に自分の存在を肯定することに躍起にならなくてはならず、人々の称賛に敏感になって緊張したり、人付き合い自体が疲れるものになる。

また、自分自身に安定感がないために、孤独を感じやすく寂しがり屋になる。誰かに(母親に)抱きしめられたいといったタイプの乳幼児的な欲求がいつまでも心に巣くうことになる。

こういうタイプになった理由を精神分析的に理解するなら、やはり幼少期が問題となる。人格が形成される幼少期に適切な親子関係がなかったため、人格障害と分類される状態になってしまったのである。

ちなみに、この場合注意を要するのは、「親」に問題があるというより、親子「関係」に問題があるという点である。ここを誤解している人が多い。子供が親に適応する過程での子供自身の戦略によっても結果は180度変わる。同じ家庭環境にある兄弟でもまったく別の人格になる。

| パチンコ・スロット依存の意味::酔いとしてのパチンコ |

アルコール依存との類似点から

パチンコの「酔い」に依存してしまう点に注目するならば、同じように「酔い」に耽溺するアルコール依存症が参考になる。実際、ギャンブル依存を「シラフのアル中」と考える専門家もいる。

そこで、アル中について簡単に考えてみたい。
(以下、斉藤学「アルコール依存症とは何か」を参考)

まず、アルコール依存者とはどのようなタイプの人たちだろうか。多くのアル中に共通しているとされる人格は以下のようなものだという。

1.シラフのときに、人前で緊張しやすい。人付き合いが苦手。偉ぶる。
つまり自然な人間関係ができない。

2.ひがみっぽくて怒りやすく、恨みを抱きやすい。
些細なことで、馬鹿にされた差別されたと怒り出す。

上記のような人格は、世間では一般に「自信がない人」とされる人たちかもしれない。実は上記のタイプに加えて「権威主義」というのもアル中のよく見られるタイプだという。まさしく、自信のなさを補填するために権威を持ち出すことになるのだろう。

| パチンコ・スロット依存の意味::酔いとしてのパチンコ |

パチンコの「酔い」は日常と人生を奪う

パチンコ依存の状況になると、徐々にパチンコが日常の中心になる。毎日、仕事帰り・学校帰りにパチンコ屋に立ち寄るようになり、場合によっては、朝からパチンコ屋に入り浸るケースもある。脳内麻薬を求めるあまり、パチンコをしていない時間が虚しいものに感じられ、パチンコが心の多くを占めるようになる。

その結果、あらゆる出会いや交流の機会、あらゆる人間関係よりパチンコを優先するようになる。つまり自分の人生よりパチンコの方を選ぶわけだ。

このようにパチンコに熱中した時期というのは、人生の記憶を極限まで失っている時期である。酔いから醒めてみれば虚しさと後悔しか残らない。パチンカーは、もし自分の人生を精一杯生きていれば、たとえどんな結果になったとしても滅多に後悔はしなかっただろう。しかし、パチンコ屋に行って日々酔っぱらうことを選び、自分の人生を生きていなかったからこそ、本当の意味で後悔することになったのである。

| パチンコ・スロット依存の意味::酔いとしてのパチンコ |

一種の泥酔状態

ギャンブルの興奮が「酔い」をもたらすことはよく知られている。パチンコの大当たりによって脳内に快楽物質を喚起し、それが興奮をもたらす。つまり、脳内麻薬によって一種の酩酊状態にあるといえる。

酩酊といっても、単純に酒の酔いと一緒にすべきではない。誰かと酒を酌み交わしながら過ごす時間というのは、心の緊張を解いてより親密な交流が可能になっている時間であり、むしろ酒の席の語らいはいい思い出となることがある。

一方、パチンコというのは、一人で機械の前に座って酔っぱらっている状態なのだ。液晶の数字がそろったかどうかなど、人間にとって思い出になる要素はどこにもない。わずかな金につられて興奮している当事者というのは、それに気付かない。

| パチンコ・スロット依存の意味::酔いとしてのパチンコ |

空白の時間

一般の人というのは、パチンコ屋にいる人たちのことをみると、なぜ彼らはあんなつまらないことに時間を使えるのか心底不思議に思う。

パチンカー自身、依存から回復してみれば、パチンコに夢中になっていた自分はいったい何を考えてみたのか理解できず、失った時間を身がちぎれるほど後悔するものである。

この種の後悔は、パチンコのようなごく一部の活動にのみ発生する。過ぎてしまえば辛かったこともたいてい甘美な思い出になるものだが、パチンコの場合、その思い出自体がないのである。パチンカーは「過去を悔いる」のではなく、「過去がないことを悔いる」。自分の人生がすっぽり抜けてしまったことを悔いるのである。なぜ、こんなことが起きるのだろうか。

| パチンコ・スロット依存の意味::酔いとしてのパチンコ |


NEWEST / PAGE TOP /   

よく読まれているページ

リンク

パチンコカテゴリー

新着エントリー

その他

POWERED BY


h2 class="linktitle"